連載 No.54 2017年05月07日掲載

 

なじまなかったサイン


作品を発表し始めた1980年代は、「写真を売る」というだけでも賛否両論入り混じる複雑な時代だったから、

自身の作品を美術品として販売するための必要条件である

サインやエディション(限定部数)という感覚は、自分にとってなじみにくいものであった。

同じものをたくさんプリントできる写真の利点を制限してしまうことや、

無機質なプリントの中に手書きのサインが共存することにも抵抗があった。



プリントの余白部分やマットに、はっきり見えるようにサインを入れるようになったのは、

ニューヨークのチェルシー地区で開いた個展からだ。

さらにギャラリーと契約するうえで、エディションの設定は絶対条件の一つだった。

当初は見よう見まねで始めたエディションの管理だったが、

販売が進むうち購入者の立場で考えると、

作家の意識としてはっきりさせなければならない領域だと考えるようになった。



2005年の春、イースターの休暇前のこと。

個展のレセプションのために渡米し、ホテルから画廊のマネージャーに電話すると、

明日でもよいだろうとは思ったが、展示の状態を早く見たかった思いもあったので出掛けた。

すると、額装した作品をいったん取り外し、

マウント(額装)した台紙の裏にできるだけたくさんの情報を記入してほしいと言われた。



日本から発送した作品は大きな額に収められており、

隅に控えめに入れてあったサインは、それが見えるようにわざわざ大きな余白でマットが切られている。

裏書に入れてあったエディションナンバーは、サインの前にはっきりと入れ直すように指示された。

そして裏にも、撮影年度、場所、プリント時期など、

可能な限り多くの情報を作家が記入することが販売につながるとの説明を受けた。



2カ月の会期のうち、レセプションを含めて1週間ほど滞在したが、

来場者の反応、マネジャーの対応も興味深い経験だった。

私の作品について説明するのは質問を受けた内容だけ。

来場者の興味の対象や、購入の意思、コレクションの経歴などを聞き出して、それに合わせて営業していた。



興味を持った顧客には私自身からプリントスタイルなど説明するように求められたが、

質問の内容はエディションに関することが最も多く、

ナンバーごとの価格のリストをマネジャーが掲示して、それを見ながら購入を勧めるといった具合だった。



写真の場合、エディションナンバーが最後に近づくにつれて価格は高くなるのが一般的だ。

つまり初期の方が安い。

版画の場合は枚数を重ねると原版が劣化し、最後の方は価格が安い場合もあるから、

このあたりは写真ならではだろう。

作家の美術品を販売するのだから、サイン、管理されているエディションナンバーが必要だということを、

はっきりと自覚するようになったのは言うまでもない。